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北日高の山々に遊ぶ!


 8/9(土) 3時半起床。卵スープのみの朝食後、水3?、おにぎり、非常食等をサブザックに詰めて出発。薄暗い山並みが朝日を受けて徐々に輝きだす。ひときわ大きな1839峰の上部も神々しく輝きだした。今日も晴れそうだ。北大生の遭難慰霊碑に手を合わせて無事の帰還を祈る。コイカクシュサツナイ岳(1721m)を越えて1560mのコルへと一旦下る。

 それほど太くはないが、ハイ松が密生し、背丈を越える潅木の場所もあり、帰路の登り返しの難儀が予想される。コルから再び登るとすぐにヤオロの窓と呼ばれる大岩 溝が、深い谷底まで一気に落ち込んでいるのが見えた。近くには2〜3張のテントが張れそうな空地もある。1752mピークからヤオロマップ岳(1794m)までは、岩稜混じりの痩せて険しい稜線上のアップダウンを辿ることになるが、強風の時にはかなりの恐怖感に襲われるだろう。重い荷物を背負って歩く気にはならない。

 途中3回ほどの小休憩を入れながら、6時半にヤオロマップ岳に着く。360度の眺望は見事というほかなく、延々と繋がる山々にしばし見とれる。別々に出発した大阪のKさんと東京のMさんも揃い、山頂でカムイエクやペテガリ岳をバックに記念写真を取り合う。

 30分ほどゆっくり休んで、ここから西に張り出す痩せ尾根の稜線上を1781mピークめざして出発する。すぐに左側、サッシビチャリ沢源頭付近にはお花畑が広がっていたが、チングルマ等の花期は既に終わっていた。前衛峰を従えた1839峰(1842m)が一層大きく聳え立ちすぐ手に届くようだ。しかし、1781mピークからの行程は容易ではない。

 まずは背丈を越えるハイ松や潅木の中を100mほど急降下し、その後両側が鋭く切れ落ちた小ピークのアップダウンを6〜7回繰り返して前衛峰に到る最難関の箇所だ。ハイ松は太く、複雑に入り込んで行く手を阻み、踏み跡も不明瞭になり一瞬たりとも気を緩めるところはない。体力の消耗が著しい。途中ウエストバックを落としたことに気づき取りに戻るが、10分ほどのロスで済んだのは幸いだった。

 前衛峰を越えるといよいよ本峰への最後のアタックだ。目の前には垂直の岩壁が立ちはだかる。この難関を乗り切るのに躊躇はない。潅木やハイ松の根元に手をかけ、草を掴み必死に体を持ち上げる。落ちたらひとたまりもないが、下を見ないから恐怖感もない。ついに登りきり山頂に躍り出た。よくやった!心地よい疲労感と充実感に浸りながら至福のときを過ごす。先着した2人も夫々無言で満足感に酔いしれている。

 北側にはカムイエクや幌尻岳が、南側にはペテガリ岳や神威岳など日高の名峰がくっきりと見え、ここはまさに日高の展望台のようだ。これ程日高の山々がはっきり見えるのは初めての経験のような気がする。3人で山座同定しながら1時間以上も長居をしてしまった。
 再び来ることがないだろう山頂に別れを告げて下山開始する。例の岩壁も木に捕まり懸垂下降する(Kさんによると、岩壁の左側に巻き道があったらしい)。はるか彼方に見えるテン場まで安全に戻らなくてはならない。とにかく焦らず、慎重に帰路をたどる。

 1781mピークを越えるころからガスが発生してきた。そして皮肉にもヤオロマップ岳に着く頃には全山ガスに包まれてしまい、この後二度と1839峰を見ることはできなかった。山の神が居るとしたら、山々を十分に堪能したのだから、この視界のない中を無事帰還してみろ、と試されているかのようだった。

 ヤオロマップ岳で再び十分休憩を取り、ナイフリッヂの稜線の下りに細心の注意を払って1560mコルへと向かった。コルからの最後の150mの登りは、疲労した体には辛かった。コイカク山頂にテントを張っていた単独行の男性と挨拶をして、15時半ついにテン場に戻りついた。11時間にも及ぶ長い山行も終わった。テント内で着替え、温くなったビールで祝杯を挙げる。雨具のズボンはハイ松の脂だらけ、向こう脛や膝はハイ松に叩かれたり、岩にぶつけたりで内出血で腫れていて、今日一日の苦闘を物語っていた。

 17時過ぎ 小雨が降り出すころ、男女学生2人が到着する。ヤオロマップ岳を経てペテガリ岳、ポンヤオロマップ岳へと縦走するらしい。大阪のKさんの隣に何とかテントを張らせてもらえたようだ。疲れと心地良い酔いで22時半まで熟睡した。夜半も小雨が降り続いたが、風は比較的弱かった。



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