しかし、このごろの私は「山」という単語を聞くだけで、心臓がずきんとするのです。なぜなら、山は美しいからです。山は火山活動や地殻変動など様々な原因で大地が盛り上がった、自然の一部です。人が花や木を愛でるように、私もまた山に限りない憧れと愛しみの気持ちをいだいてやみません。
山を抱きしめるわけにはいきませんから、この四肢でその山を感じ、その頂でその山が見ている風景を共に見てみたいのです。とは言っても登山には安全のためのルールや道具、心構えが必要です。私はそのようなことも知らずに、ただただ山に登ってみたいと幼稚な恋心のような思いでいました。
知り合いの経験豊かなアマチュアの登山愛好家に、ある有名な山に登ってみたいがどうしたらいいかとたずねたところ、私の経験を問われ、初心者であることを伝えました。するとその方は非常にお怒りになり「あなたのような人間が登山者にとって一番迷惑だ。」と一喝されました。
登山はあなどるな、近くにある低い山から手当たり次第に登りなさい、何年もかけて登山をし、経験と体力を養わなければならない、でなければ他人に迷惑をかけるだけではなく、自分の命を危険にさらすことになる。そう、その方はおっしゃいました。
私は自分がとんでもないことに手を出そうとしていることに、初めて気がつきました。
心に暗雲が立ちこめましたが、やはり山への思いは募るばかりです。テレビや雑誌で山の姿を見ると動悸がし、惹きつけられ、ため息をつかずにはいられません。なぜ山は美しいのか、これには答えようがありません。
いろいろな山があります。尖った山、優しく丸みを帯びた山、高い山、体積の大きな山、人を寄せ付けないような厳しい山、気高い山。季節や天候、時間帯によっても一つの山は様々な表情を見せてくれます。
私は登山を始めてみようと決心しました。他の人には迷惑をかけない、自分や一緒に登る人の命を危うくさせない登山をしなければなりません。
そんな時、工学部内の掲示板で今回の山行のポスターを見つけました。願ってもみないチャンスです。走って職場にとって返し、筆記具とメモを持ってそのポスターの内容を書き取り、すぐにリーダーに申込みをしたのでした。
その日から徳舜瞥登山への思いは心の大半を占め、初めて登山靴を買い、登山に適したズボンを何軒もの店を訪ねて探し回りました。
当日、徳舜瞥山の登山口に至る砂利道をみんなで歩いていると、足もとからザクザクと小気味よい音がし、紅葉した樹木の葉を揺らす風が心地良く、不安がいつの間にか消えていました。
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